鹿児島マラソン2019〜落武者編〜

鹿児島マラソンに関わった全ての皆さま、お疲れ様でした!

鹿児島マラソン運営・ボランティア・スポンサー・メディア・警察・沿道の声援・鹿児島マラソンによる交通規制で我慢された方・テレビからの応援などなど、全ての方々にお礼申し上げます。

ランナーが主役であるマラソン大会ですが、上記の方々のおかげで走れます。

おこがましいことではありますが、このブログを読まれたランナー以外の関係者の方々にランナーを代表して言わせていただきます。

『心からありがとうございました。』

皆さまに心からの感謝の拍手を贈りたいと思います。

ぼくは今シーズン足の怪我によりほとんど練習が出来ませんでした。

それでも自分の持てる知識と経験をフル活用して挑戦しました。

今回の記事はいつもと違って「サブ3を狙う」という目標ではないので、どのように書こうか迷いました。

参考になるかわかりませんが、怪我をしてから鹿児島マラソンまでのことを書き進めて参ります。

どうせ長文です。

怪我で苦しんでる方や苦しんだ方には伝わりやすい内容かと思います。

是非ご覧ください( ^ω^ )

以後敬語略します!

鹿児島マラソン2019

〜落武者編〜

暗い闇夜に光るオレンジ色のライトが並ぶトンネルを走り抜けると、太陽がぼくを柔らかく照らした。

朝からずっと曇っていた天気だったが、快晴とまでは言わないまでも雲の間から陽の光が出ていた。

緩やかな登り道を太陽の眩しさで目を細めながら走っていると、沿道の応援に混じって笑い声が聞こえてくる。

自分が白塗り落武者姿で走ってることをすっかり忘れてトンネルを走っていた。

少し呼吸が乱れながら登り道を走り終えると沿道の声援が増えてきた。

娘たちの校区ということもあり落武者姿ではあるけど普通に走った。

約1kmほど走ると長田陸橋が見えてきた。

そこには溢れんばかりの人たちがランナーに声援を送っていた。

それまで普通に走っていたが陸橋を登り始めるとスイッチが再び「カチッ」と入った。

2018年8月終わり、足の裏に違和感があった。

ただの足裏のコリかと思い拳汰さんに乗ってもらったり、机の角に擦り付けていた。

9月に入り、鹿児島マラソンでサブ3(3時間以内でフルマラソンを走ること)をするための練習メニューが始まった。

今シーズンの出走予定だった大会は、10月の出水ツルマラソン・12月の青島太平洋マラソン・1月のムンバイマラソン・3月の鹿児島マラソンの4本だった。

ムンバイマラソンでの暑さを予想して出水に出走し、青島は恩人の撮影係で一緒に走る予定で、ムンバイはインド人の兄弟をサブ3.5のペーサー予定で、鹿児島でサブ3をするメニューを作った。

毎年言ってるが、今年はサブ3をする自信があった。

練習内容だけでなく、筋肉の問題や深い栄養についての勉強をしたことで絶対なる自信があった。

9月の練習始めから足の裏に違和感が少し強くなった。

走り方の問題と思い、特に気にする事なくメニューをこなした。

9月19日(水)の朝、5km×2本の練習中右くるぶし内に強烈な痛みが走った。

1本目から痛みはあったが我慢して走り、2本目を終えると歩くことも困難な状態となった。

三日間休み、9月23日(日)に25kmのロング走を走った。

出水の大会が約1ヶ月後に控えているためロング走をしないといけないと思い、痛みを抱えながら無理矢理走った。

次の週の9月26日(水)に5km×2本の練習をしようと走り始めたら1本目の3km地点で走ることが出来なくなった。

右内くるぶしに神経にさわるようなバリバリっとした痛みだった。

ランナーによく起こる「シンスプリント」というやつだ。

以前のぼくだったらこのシンスプリントはただの走り方の問題で終わらせていた。

結果的に走り方の問題ではなく、様々な問題があることに気付いた。

それに気付いたのはムンバイマラソンが終わってからだった。

シンスプリントになってから全く走れなくなり、10月の走行距離は18kmだった。

もちろん、出水ツルマラソンは参加出来なかった。

ウォーキングをしたり、足の具合を診るようにゆっくり走っただけで、まともに走ることは出来なかった。

常に拳汰さんと治療方法を模索しながら自分の足がなぜ痛くなるのかをひたすら模索した。

走ることが出来ないため、自転車や水泳で体力低下を防いだ。

また、筋力低下を防ぐため筋トレも真面目に取り組んだ。

11月になっても状況が変わることはなく、病院に行き注射を打った。

1週間に一度1ヶ月間通ったが、良くなる事はなかった。

その間も自転車や水泳の練習をしたり、筋トレを欠かさなかった。

たまにジョグをしたりしたが、やはり足の強烈な痛みでまともに走る事は出来なかった。

11月半ば過ぎに一つのターニングポイントが来た。

ある方からリレーマラソンを一緒に走ろうと誘われて走る事になっていた。

元々人と群れて行動することが好きではないぼくだったが、酔った勢いで走ることを約束してしまい(厳密にいうと約束した事は全く覚えていないほど酔っていた)、半分仕方なく走る事になった。

全くスピードを出して走ることが出来ないと思っていたが、なぜか以前と同じくらいのスピードで走ることが出来た。

1周が1.7kmのコースを5周した。

1周すると約30分ほど休むことで足に炎症が出なかった。

このリレーマラソンで得たものが二つあった。

一つ目は自分がまだ走れるということ。

約2ヶ月もまともに走れないと、足の痛みが一生治らないのかと弱気になっていた。

ブログや患者さんには「何とかなる」と言っていたが、正直なところ、かなり弱気になっていた。

しかし、この距離とこの休憩があればまだ走れるということがわかった。

二つ目は人と群れることが意外と楽しいということ。

これにはぼくの親の教育が関わってくる。

詳しくは忘れたが、母親が「自分以外は信用ならん」的なことをぼくに常々言っていた。

父親は自由奔放で雲のジュウザのような人だった。(←わからない人は北斗の拳を読んでちょ)

そんなこんなで人と群れることを好んでしなかった。

しなかったというより、出来なかった。

しかし、みんなと走って打ち上げに参加してみて楽しいということがわかった。

リレーマラソンから1ヶ月、さらなる試行錯誤が始まった。

この時点で青島太平洋マラソンも走る事は出来なかったため不参加となった。

寒さもあり自転車に乗らなくなったが、水泳だけは極力土曜日に行くように心がけ、筋トレも怠らなかった。

ムンバイマラソンまで1ヶ月となった12月20日(木)、ジョグでこれまでと違う走り方を試みた。

2km走って500m歩いての繰り返しで足の様子を診た。

ついに痛みが出ない走り方を見つけた。

足を痛めて3ヶ月が経っていた。

普通に走れる日が来た事があまりにも嬉しくて、冬の薄暗い朝の道端で立ち止まって肩を揺らして泣いた。

↓その時のラン日誌

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めちゃくちゃ字が汚いのでスルーしても構わない。

この日の気持ちをそのままストレートに書いてる。

12月24日(月)、20kmのロング走をした。

2回くらい歩いたけど何とか足の強烈な痛みが出ることなく走り続けることが出来た。

12月31日(月)、25kmの山道を走った。

多少痛みや腫れが出たけれど何とか走れた。

1月6日(日)、30kmをビルドアップで走ることが出来た。

痛みや腫れが少し強く出たが、以前に比べると問題のないレベルだった。

これでムンバイマラソンは走れると思った。

実質この三回のロング走しかムンバイマラソンの練習は出来なかった。

練習というより「ただ走れるようになった」というだけだ。

それでも良かった。

ただただ自分の足で大地を蹴って前に進んでるだけで嬉しかった。

インドに渡り、ぼくは様々な経験をした。

そして1月20日(日)、ムンバイマラソンを走り切ることが出来た。

止まる事なく、右足に一度も痛みを感じることもなく走り切った。

ぼくはこのことをムンバイの奇跡と呼んでいる。

しかし、奇跡の裏には悲劇も待っていた。

右足が治ったと思ったら左膝の外側が痛くなった。

これもランナーによく起こる「腸脛靱帯炎」というやつだ。

ムンバイから帰国したぼくは残り1ヶ月半で、もしかしたらサブ3にトライ出来るのではないかと思っていた。

2019年1月27日(日)、軽くジョグをしたら左膝外に痛みが走った。

ムンバイマラソンの途中でも痛かったし、走り終わった後も痛かったのだが、右足に痛みが出なかったことが嬉しくて深く考えていなかった。

2月3日(日)24kmのセミロング走をした際、やはり左膝外に痛みが出てしまい、18kmから何度も歩いて家に帰り着いた。

それから10kmのジョグでも膝外に痛みが出るようになった。

もちろんこの時も拳汰さんに揉みほぐしてもらったりトレーニングをしたりしている。

走るときや整骨院で試行錯誤の日々が続いた。

2月10日(日)、鹿児島マラソンまで最後のロング走をしようと走り出すも、16kmで足の痛みが強く出たため、10kmを歩いて帰った。

これはもう走ったらいけないと思い、自転車で体力低下を防ごうとした。

自転車だったら痛みも出ないし心肺を追い込めたので、2月11日と2月17日に35kmと60km漕いだ。

その間も足の様子を診るため軽くジョグをしたりした。

しかし、左膝横の痛みは引くことはなく、むしろ悪化していった。

2月26日(火)、走ってる時にあることに気付き、走り方に気を付けた。

すると約12km走れた。

鹿児島マラソンの五日前だった。

もしかしたらこれかもしれないと思い、拳汰さんと話しながら試行錯誤した。

2月28日(木)、8kmジョグをしたら痛くなかった。

ついに痛みの原因がわかったのだ。

鹿児島マラソン三日前だった。

原因がわかったとはいえ、原因究明をするにはまだ確証がなかった。

理論と知識だけで痛みの原因をわかっただけだった。

本来はそこから確定するまで段階を踏むのだが、そんな暇はなかった。

3月1日(金)、4kmのジョグで足を確かめたが痛みは出なかった。

しかし、10km以上走らないとわからなかった。

このような状況でぼくは3月3日(日)の鹿児島マラソンを迎えることとなった。

自分でも自分の足がいつ痛くなり、いつ走れなくなるのか全くわからなかった。

もしかしたら3時間30分以内で走れるかもしれないし、5時間以上かかるかもしれなかった。

本当に自分の状況が読めなかった。

拳汰さんにテーピングをしてもらい、いつものように落武者メイクを整骨院でして会場に向かった。

やはり落武者は目立った。

今回落武者は3人で参加することになった。

スタート前にテレビで映っていた落武者はぼくではなく、別な方だった。

↓左がぼくで右の方が映っていたようだ

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確かに似てるかもしれない…。

スタート場所に時間ギリギリで入り、あとはスタートを待つのみとなった。

そこには患者さん二人がいたため、三人で走り始めることとなった。

一人の患者さん(Oさん)もぼくと同じように左膝外に同じような痛みを抱えての出場となった。

Oさんはぼくと全く同じ原因で膝外を痛めていた。

いつの間にスタートが近づき、テンションも上がってきた。

ついにスタートの号砲が鳴った。

ムンバイとは違いフォーフォー言う人が誰もいなかったのでぼくだけ言っていた。

鹿児島マラソンをみんなで楽しみたかったし盛り上げたかった。

今回ぼくはあるテーマを持って鹿児島マラソンを走ることにしていた。

上記してきたように練習がほとんど出来ていないのでタイムを狙うことは出来ない。

だったら鹿児島マラソンを盛り上げるべきだと思った。

これも上記したが、マラソン大会はランナーだけでは成り立たない。

大会に関わるいかなる人でも、一緒になって初めて大会が盛り上がるものなのだ。

優勝をする人でも、最後にゴールする人でも42,195kmを走ることに全く変わりはない。

沿道で声援を送る人も、テレビの前で観ている人も変わらない。

全てのランナーは言ってしまうと、ただ走るだけなのだ。

ぼくはランナーとそれ以外の人の垣根をなくしてみようと思った。

一緒に大会を楽しもうと思ったのだ。

スタートして約12km地点の仙巌園まで普通に走ることとしていた。

↓ポーズを決める落武者

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↓普通に走ってる落武者

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落武者も気になるが、左のメガネのメンズについつい目がいってしまう。

娘たちが通う大竜小学校校区付近ではなるべく目立たないように走ることを心がけた。

左膝外の痛みは7kmくらいから軽い痛みが出ていた。

しかし、酷くなる気配はなかった。

鳥越トンネルを越えると仙巌園が待っている。

そこには毎年数多くの声援が待っていた。

ぼくはここからが落武者の本当のスタートだと思っていた。

落武者が苦しそうな顔をして走ってきたら、誰だって笑う、笑いながら声援を贈ってくれるだろうと思った。

ぼくはそう信じて、鳥越トンネルを走り抜けると、口を開けて今にも泣きそうな顔で走り始めた。

それを見た高校生のボランティアの子たちが一斉に笑い出した。

そして、笑いながら一斉に声援を贈ってくれた。

近くにいた人は体感したと思うが、とんでもない声援だった。

ぼくはそんな声援の中でもあるランナーの声を聞いていた。

『これは良いや。』

落武者の近くで走ると物凄い声援を受けるから同じように元気をもらうのだ。

高校生の列が途切れると、テレビのカメラマンがいた。

そのカメラマンも撮りながら声を出して笑っていた。

反対車線にいるボランティアの方々も落武者の滑稽な姿を見て笑っていた。

ぼくはここで「これはいける」と確信を得た。

それから10号線を姶良方面に向けて走っているとき、高校生の集団がいることを視認したら苦しそうな顔をしてその場を盛り上げた。

中には本当に気持ち悪がってる子もいた。

しかし、大半は落武者の滑稽な姿を見て喜んでいた。

高校生だけでなく、一般のボランティアの方々も落武者を見て一様に笑っていた。

リタイヤをしたランナーを乗せるバスの運転手さんたちも笑いながら声援を贈ってくれた。

ハーフまで最初から一緒に走っていた3人だったが、この付近で3人は別々になった。

Oさんは前に、もう一人は後ろに、落武者は真ん中くらいだった。

マラソンはあくまで個人の闘いだから一緒に走り続ける必要はない。

自分がいけると思ったら前にいくし、ついていけないと思ったら自分のペースで走るし、自分のペースをひたすらキープすることだってある。

姶良市街地に入る前の橋を登り、そこから姶良市民の方々が盛大に出迎えてくれた。

ぼくはその声援に応えるべく、より滑稽な顔にして走り出した。

そんな滑稽な落武者を見た人々が一様に大声で笑いながら声援を贈ってくれた。

これまで落武者をしてきた中でも一番の声援だった。

感謝の気持ちでいっぱいとなり、ばれないくらいのうっすらとした涙を浮かべながら走っていた。

折り返し地点を背中に向けて走り出し、鹿児島マラソンで唯一の補給を中馬クリニックさんの私設エイドで梅干しをありがたく頂いた。

カーボローディングの成果で走り終わってもからの豚汁やおにぎりも食べず、3時くらいにお腹が空いて初めてご飯を食べてないことに気づいた。

↓姶良を走ってる落武者

再び姶良の橋を登り切り深呼吸をしてフッと海に目をやると、そこには雄大な桜島の姿があった。

曇っていたので完全には見えないが、それでも雄大な桜島が何も語らずぼくを見ているような気がした。

ぼくはトライすることにした。

左膝の痛みは7km地点からあまり変わっていなかったのでスピードを上げても問題ないと思った。

それまでも呼吸が苦しくなる事は全くなかったが、左膝外の痛みが出ると走りたくても走れなくなる。

スタートから10kmまでかなりのランナーに抜かれた。

スタート時が668位だったのが、10km地点では1584位にまでなった。

抜かれることをひたすら我慢して「あとで抜き返してやる!」と闘争心を心に沈め続けていた。

桜島を観たことでついにその闘争心に火が灯された。

もうどうにでもなれと思い、それまで5:10/km前後で走っていたのを、28km地点から4:50/km前後まで上げた。

このスピードで2km以上走ること自体9月以来だった。

それでも呼吸的に問題はなく、むしろ気持ち良く走ることが出来た。

1km走って左膝外の痛みは出なかった。

これはもしかしたらもっと行けるかもしれないと思った。

35kmまでこのペースで走り続け、そこから本当のラストスパートをすることにした。

対向車線には姶良の折り返し地点を目指すランナーがたくさん走っていた。

落武者を認識してもらおうと、なるべく中央線のガードレール側に寄り走った。

なるべく口を開けてきつそうな顔で走り、対向車線のランナーを励まそうと思った。

こんな格好でこれだけ必死に走ってるんだからみんなも頑張ってね、と無言のエールだった。

少しでも笑って少しでもきつい想いを忘れて走ることが出来ただろうか。

そんな落武者を見たランナーからも声援を頂いた。

患者さんだったり全く知らない人からも頂いた。

ハイタッチをしたり、エール交換をしたりした。

錦江湾から音楽が聞こえ音がする方を見ると、船から応援されてる方々もいらっしゃった。

お礼に腕を大きく振った。

電車からも汽笛の音を頂いた。

錦江湾の波の音さえも声援を贈っているように感じた。

全ての音という音が我々ランナーを励ましているようだった。

10号線の往路でも高校生たちの声援はやまなかった。

見ず知らずの人たちに対して声を枯らして一生懸命声援を贈ってくれていた。

なるべく「ありがとう」と言ったり、ジェスチャーで声援に応えた。

スタートからずっと落武者への声援は止む事なく続いた。

沿道からの声援にどれだけの力をもらったことか。

全員に返礼する事は出来ないが、出来る限りを尽くした。

中には「センセ〜!」や「ぼくの手〜!」と聞こえた。

患者さんや落武者の素性を知ってる人たちからの声援だ。

ありがたく返礼した。

いまだに「先生」という呼ばれ方に慣れないというか、何だか気恥ずかしい。

別に呼び方なんて何でも良いと思ってる。

先生と呼ばれるほど大した事はしていない。

走ってる途中、ランナーからも「ブログ見てます!」「動画観てます!」などの声を頂いた。

娘が通っていた幼稚園の父兄さんからも一緒に走りながら声をかけて頂いた。

とにかく、数多くの方々から声をかけられ続けた。

35km前後でOさんを捉えた。

オムカールさんの時と同じように抜き去ろうかと思ったが、左膝外の痛みが結構強烈に出てきてスピードを上げることが出来なかった。

むしろスピードは落ちて5:30/km前後まで落ちてしまった。

それでも35km地点で1078位と500人ほど抜いていた。

Oさんも膝に痛みが出てきたためスピードを上げることが出来ないでいた。

二人は一緒に走り励まし合い、ゴールまでの距離をカウントダウンしながら走った。

確か37km地点くらいだったと思うが、今大会ナンバーワンの名言を聞いた。

いつものように高校生が「落武者頑張れ〜!」と声を出して応援してくれた。

するとOさんが突然「走ってるのは落武者だけじゃねーんだぞ!!」と叫び出した。

つい吹き出してしまったが、確かにずーっと落武者にしか応援がいかないのと疲れと痛みと全てが重なり謎の怒りが沸点を超えたのだろう。

フォームもへったくれもない状態で仙巌園に辿り着いた。

もちろんみんなを盛り上げようと顔を作った。

そこでもやはりたくさんの笑いと声援を頂いた。

別の患者さんもそこに応援に来て頂いていた。

40km地点での順位は990位まで上がっていた。

順位とは裏腹にスピードは5:40/kmまで落ちていたが、二人は何とか痛みに耐えながら走り続けた。

仙巌園前後からぼくは歩いてるランナーの肩に手を添えながら声をかけた。

「もう少しだから頑張ろう!」

「もう少しだ、行こう!」

「ラストです、走りましょう!」

心残りなのはここに女性がいなかったことだ。

タイプの女性がいればぼくはペーサーになるか手を繋いで走っただろう。

仙巌園を過ぎるとゆるい登り坂が始まる。

その坂を左膝外が痛いながらも走り、鳥越トンネルに入った。

トンネルの中は薄暗く、そしてさっきまでの声援も一切なくなり、ランナーの足音だけが「タッタッタッタ」と鳴り響いていた。

前に向かって走っているはずなのに逆走しているような気になり変な感じがした。

暗い闇夜に光るオレンジ色のライトの先に光が見えてきた。

多少の呼吸の乱れを感じながら光の元へ出た。

まだ登り坂は続いているが、声援が聞こえ始めた。

椅子に座って声援を贈る稲荷町の人々の「お帰りなさい!」の声に安堵感を覚えた。

登り坂の両端には大きな壁のような道路がある。

その圧迫感を感じつつ、ついに登り坂が終わるといつもは車で見る風景が目の前に広がった。

声援も少しずつ増えていく。

春日町に入ると沿道の声援は加速度的に増えてきた。

ランナーが走ってる左手には柵があり、その先には車が走っていた。

ランナーの為に関係のない方々にまで迷惑がかかってしまい申し訳ないと思いながら心の中で手を合わせた。

長田陸橋が見え始めあの橋を登るのかと思うと気が滅入ったが、あれを登ればあとはどうにでもなると気持ちを切り替えた。

鳥越トンネルから長田陸橋までは娘たちの小学校の校区だったのでなるべく目立たないように走った。

長田陸橋を渡り終えてから顔を作る予定だったのだが、あまりにも多くの声援にスイッチが入ってしまい、陸橋を登り始めると口を開けてキツそうな顔で走り始めた。

その顔を見た沿道の人々が一斉に声を上げて笑い始めた。

↓途中で矢が取れて手に持って走った

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実に滑稽で情けない顔だ。

↓ハイタッチ落武者

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↓絵になり過ぎてるがただの落武者

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陸橋を渡り終え、左に曲がると歩道の両サイドから笑い声と声援が入り混じってランナーの後押しをした。

実はここら辺からラストスパートをかけようと思えばかけれた。

左膝外に痛みはあるけど残り400mくらいだったらなんとか走れた。

しかし、ぼくは滑稽な落武者を演じることに専念した。

滑稽な姿で速く走っても面白くないのでそのままの速度で、口を最大限に開け、今にも泣きそうな顔で攻めた。

足で攻めれない分、ぼくは顔で攻めた。

電車通りに出るとぼくはより一層顔を歪めて走った。

口を開けて走るのは意外ときつく、しかもその顔をキープするのが大変だった。

すると口の開け方がわからなくなり、段々顎がシャクれてきた。

アントニオ猪木のようにシャクれてきたのだ。

顎を戻そうとするが戻し方がわからなくなりなおさらわけがわからなくなった。

そんな状態でゴールが見えてきた。

周りのランナーはラストスパートをしてどんどんぼくを追い越していく。

ゴール付近にはたくさんの人がいて、みんな大笑いして落武者を出迎えてくれた。

ゴールのアナウンスでも「落武者がきました!毎年恒例の落武者です!」との声が聞こえてきた。

最大級の苦しい顔でゴールをしようとした瞬間、Oさんがぼくの横を駆け抜けて先にゴールをした。

↓このゴールシーンは永久保存にしたいくらい自分でも大爆笑だ

ゴールした後のことを全く考えておらず、演技と素が混ざってなんとも素晴らしく滑稽なゴールとなった。

何度見ても吹き出してしまう。

1006位でゴールした。

ぼくをラスト1mで抜き去ったOさんとお互いお礼を言い合い硬い握手をした。

歩くことなく何とか走り切った。

左膝外だけでなく、元々悪い右股関節痛も結構強烈に痛くなっていた。

この股関節痛だが、最早フルマラソンを走るには無理がきているようだ。

左右差が1cmあるため負担がかかり過ぎている。

来年サブ3をしたらフルマラソンは走れなくなると思う。

どうなるかわからないし、試行錯誤してまた走れる体になるかもしれない。

落武者を楽しみにされてるランナーや沿道の皆さんがいることだし、なんとか頑張らないとね。

ムンバイマラソンもギリギリ走り切ったが、今回もギリギリだった。

演技していたとはいえ、足の痛みは限界だった。

練習出来てないから当然といえば当然だ。

来年はサブ3を本気で狙いにいくので今年のような滑稽な姿ではないと思う。

今シーズンの失敗から学んだことや新たに学んだことを元に更なる飛躍を誓う。

これ以上学ぶことはないと思っていても、新たに学びを必要とする時がくる。

いつぼくがサブ3を出来るのかわからない。

わからないからこそ、求めているのかもしれない。

サブ3を目指すことでここまで問題が大きくなるとは思いもしなかった。

無駄なことをしてるんじゃないか、あさはかな行動を繰り返しているだけじゃないかと思ったりもした。

しかし、今振り返って過去の事を思うと決してそんな事はないと自信を持って言える。

自分の中の可能性を信じて、為すべきと思った事を為せ、バナージ。

悩まない人間などいない。

苦しまない人生などない。

為すべき事をした人達は皆、その悩みの中から自分なりの答えを探し出したんだ。

もし間違えたと思ったらそれを正せばいい。

そんな風にして世界は少しずつ前に進んでいく。

あきらめる事なく、囚われる事なく、望みを持ち続ければ…

(※機動戦士ガンダムUCバンデシネ」14巻p134 マリーダ・クリスより)

整骨院に荷物を置いているため、走り終わってから完走賞をもらい、整骨院まで歩いて帰った。

その帰り道、知らない方々から「見てたよ!お疲れ様!」と何人にも声をかけられた。

ありがたいと思った。

整骨院でメイクを落とし着替えて少ししてから家に帰った。

妻がゴール地点で撮影をしていたが、雨が降ってきたので迎えに行くことにした。

妻を乗せて家に帰っていると、さっきまでそこを走っていた道路でコーンや柵などを運営の方々が撤去作業をされていた。

人によっては夜中の0時30分から集合して大会の準備をし始めていたそうだ。

このような裏方作業をされてる方々のおかげで我々ランナーは走ることが出来たのだ。

信号待ちの車の中から撤去作業をされてる方々を見て、その場で手を合わせてお礼を言った。

『心からありがとうございました。』

ぼくは白塗りの落武者で走り続ける事を誓う。

自分のためだけでなく、だけど自分のために。

マラソンは一人で走るけど、独りじゃない。

42.195kmは速さや性別に関係なく全ての人に平等に用意されている。

どのように走るかは人それぞれだ。

だからやめられない。

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長文にお付き合い頂きありがとうございました\(^o^)/

これにて終わりです!

鹿児島マラソンの動画は明日から作成に入ります!

どれくらいかかるかわかりませんが、きっと良い動画になるのではないでしょうか!

今回の動画はある女性ランナーに焦点を当てて作ります!

CMのような動画になると思います!

楽しみにお待ち下さ〜い( ^ω^ )

アナザーストーリーは「必ず」書くそうです(゚ω゚)

そちらもお楽しみに〜( ^ω^ )

さかうえ整骨院ぼくの手 鹿児島市小川町2-27加藤ビル1F TEL 099-239-3336 

コメント

  1. 9618 より:

    鹿児島マラソンお疲れ様でした(*^_^*)
    今までは動画でしか見たことなかったけど、今回は10号線で生落武者に会うことができ、「ナマステ!!」と叫べたので、めっちゃテンションが上がってしまいました!
    私にとっては3回目の鹿児島マラソンでしたが、今回も沿道の応援とハイタッチをする余裕はなく…..。でも心の中で「ありがとう」と何度も言いながら、走りました。
    Another Storyを楽しみにしています(*^_^*)

    • bokunote より:

      >>9618さん

      お疲れ様でした!
      やっとですれ違うことが出来ましたね!
      来年はもっと練習して余裕を持って走って直接お礼を伝えるようにしましょう!
      アナザーは動画が終わってからの投稿になりますのでまだまだ時間がかかります。
      少々お待ちください!

  2. ようさん より:

    坂上先生
    鹿児島マラソンお疲れさまでした
    今回も大変感慨深く読まさせていただきました
    私自身、マラソンを始めたことにより、色々なことを学ぶことができたと思います
    先生のおかげもありますし、走ることによって気づかされたこともあります
    この歳になってから(現在48歳です)こんなにも多くのことを学ぶことができるなんて、思ってもいませんでした
    本当にマラソンと坂上先生との出会いに感謝しています
    これからも応援していますので、頑張ってください!!

    • bokunote より:

      >>ようさんさん

      長文ご覧頂きありがとうございました。
      トライアスロン(ショート)とは段違いのきつさがフルマラソンにはありますよね。
      自分の股関節がまだ動くうちにアイアンマンレースに出たいと思ってますが、それはまた違う感動があるのかなと思ってます。

      多分人生は常に学びの連続なんだろうな、と最近考えるようになってきました。
      学びをしない人生なんてつまらないと思うようになってます。
      お互いこれからも刺激を与え合っていきましょう(=´∀`)人(´∀`=)
      こちらこそいつもありがとうございます!

  3. たくぞう より:

    しみじみ読み入りました。心身苦痛の長い長い半年を経ての鹿児島マラソンになりましたね。ムンバイも鹿児島マラソンもラストスパート凄いです。

    ランナー、今回走れなかったランナー、運営の方々、応援の方々それぞれの思いや力がありますよね。本当に走れることに感謝です。
    落武者声援パワー凄かったです^ ^
    思わずハイペースになってしまい、終盤へろへろに^^; 表情で攻めたわけでもなくリアル落武者になっていました。タイムとは裏腹にかなり楽しかったです^ ^ でも、やはり落武者は光院長です。走りながらもそう思い、今回のを読んで改めてそう思いました^ ^ これからも応援しています!

    • bokunote より:

      >>たくぞうさん

      長文ご覧頂きありがとうございました。
      そして、落武者お疲れ様でした。

      今回はタイムを狙えなかったので比較的余裕ということもあり、客観的に大会を見ることが出来ました。
      多くの方々に支えられて開催されてることが本当にわかりました。
      「ありがたい」の一言です。

      来年に向けてまた練習されてくださいね。
      落武者は誰のものでもありませんよ(゚ω゚)
      別にぼくだけのものでもありませんし、誰がやっても落武者は落武者です。
      是非来年も落武者で走られてください(*゚∀゚*)
      せっかく落武者セット一式を買われたことですしね!

  4. Kouika7 より:

    鹿児島マラソン出場3回目ですが、今回初めてボランティアの方々や沿道で応援頂いた方々に感謝の気持ちを直接伝える事が出来ました。(きっかけはぼくの手ブログでした)
    結果これまでで1番充実した大会となりました。有難うございました!

    • bokunote より:

      >>Kouika7さん

      お疲れ様でした!
      颯爽とラストスパートをかけてよくわからない動きをしていたあのお姿が目に浮かびます!
      来年をどうするかはわかりませんが、是非何かしらの形で関わって下さいね( ^ω^ )
      鹿児島を盛り上げましょう(=´∀`)人(´∀`=)

  5. Kazuya Maeda より:

    走られた皆様、お疲れ様でした!
    姶良とゴールの動画、最高でした!
    今回、影武者として走らせて頂きましたが、声援凄かったです。凄く力になりましたし、楽しく走ることができました。勇気を出して落武者して良かったと思います。
    こうして楽しく走れたのは皆様のお陰だと、本当に感謝してます。
    動画楽しみにしております!

    • bokunote より:

      >>Kazuya Maedaさん

      お疲れ様でした( ^ω^ )
      とても楽しめて良かったですね(=´∀`)人(´∀`=)
      これからも是非落武者で走られて下さい!
      言わなくてもするとは思いますけど!
      来年は是非サブ4を目指して練習されて下さい!