ぼくの手院長プロフィール

ぼくの手プロフィールをご覧頂きありがとうございます。

さかうえ整骨院ぼくの手院長の坂上光です。

皆さまにぼくのことをご理解頂くために自己紹介をしたいと思います。

鹿児島で生まれ中学まで鹿児島で育ち、高校から熊本のマリスト高校に入学しました。

性格のねじ曲がった本当にどうしようもない人間で、今振り返ると自分自身を張り倒したくなります。

人を虐めたり卑怯なことばかりしていました。

スポーツ万能で何をやらせてもすぐに上達しました。

ただ一つの運動を除いて…。

ぼくが運動で唯一苦手なもの、それは「持久走」です。

とにかく長い距離を走ることが大嫌いでした。

短距離は得意な方でいつも前を争っていましたが、長距離はいつも後ろからみんなを追い掛けていました。

高校まではそれを補えるほどの運動能力で体育の成績は学年でもトップでした。

体育はね(゚ω゚)

他は並でした(゚ω゚)

小学生からの夢であったパイロットになるため高校卒業後は航空自衛隊の「航空学生」というパイロット養成部隊に入隊しました。

倍率約40倍の難関をくぐり抜け入隊しました。

↓入隊時の写真ではありません!

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宝塚音楽学校の倍率が約20倍ですので相当な倍率です。

なぜ受かったのか今考えても不思議なくらいです。

入隊してから過酷な訓練が始まりました。

毎日が地獄のような日々でした。

部隊内の運動能力テストではバスケットボールでのドリブルや水泳などで一番か二番くらいでした。(←覚えているのがこの二つしかありませんが他の種目でも良い成績を納めていました)

バスケットを部活でしたことはありませんが、航空学生の歴代トップにあと少しで届くくらいの成績でした。

水泳は高校までやっていた人と同等に泳げました。

しかし、やはり持久走では最後尾でした。

毎日10kmほど走る日々が続き、ぼくの前にはたくさんの同期が走ってました。

それが何より屈辱でした。

それまで何をしても出来ると思い上がっていたぼくの自尊心は日に日に崩れていきました。

ピノキオのように鼻が伸びた状態で航空学生に入り、長くなった鼻は自分の鼻の重みに耐えきれず折れてしまいました。

自分の不甲斐なさにマイナス思考が止まらず、数ヶ月で辞めてしまいました。

辞める際、いろんな人から止められました。

その中で祖父ともやり取りをしました。

祖父の手紙にはこう書かれていました。

『おぢぃちゃんは光が勇ましい隊士になって帰ってくるであろうことを心から期待し、それを待ち望んでいたことか』

他にもぼくを励ます言葉がたくさん書かれてました。

その励ましの手紙をいとも簡単に裏切り辞めてしまいました。

今でも手元に置いてある祖父からの手紙をたまに読み返すことがあります。

その度に今は他界した祖父に申し訳ない気持ちでいっぱいになると同時に、今を精一杯生きなければ面目が立たないと毎日躍起になっております。

辞めてから10年間自問自答を繰り返しながら生きていました。

27歳で結婚をし、その後子どもが産まれ、整骨院を開業したにも関わらず航空学生の後悔を払拭することが出来ませんでした。

それはパイロットになれなかった後悔ではなく、不甲斐ない自分自身への後悔でした。

辞めてから毎晩のように航空学生の夢を見ていました。

それは悪夢でした。

泣いて起きたり、叫びながら起きることも頻繁にありました。

このまま一生続くのかと思い悩んでいました。

30歳になった時、転機が訪れました。

このままでは本当の意味で前に進むことが出来ないと思い、自分が一番苦手だった長距離に挑戦することにしました。

鹿児島の「いぶすき菜の花マラソン」に応募しました。

高校の頃行事でフルマラソンを走ったことがあるとはいえ、目的・目標を持ってフルマラソンを走ることは初めてでした。

初めてのフルマラソンは5時間48分でした。

20kmまでは調子良く走っていたのですが、24kmくらいから脚がおかしくなり、30kmを過ぎると何もかもがおかしくなっていました。

沿道の声援も耳に入らず、悪なる自分全開でした。

『二度と走るか!』

『世界で一番きついのは俺だ!』

『どうせ俺は負け組だ!』

など心の中で叫んでおりました。

走り終わって完走賞をもらいましたが、あまりのきつさに見る余裕もなくさっさと家に帰りました。

次の日完走賞を初めて見ました。

すると順位が大体真ん中くらいでした。

それを見て昨日までの考えが変わりました。

『もしかして練習したらもう少し順位が良くなるんじゃないか?』

次の年、また菜の花マラソンに応募しました。

この時は2〜3ヶ月自分なりに適当に練習をしてみました。

特に本やネットで情報を集めたわけでもなく、とりあえず感覚的に走りました。

すると4時間30分でした。

ここでぼくのマラソンスイッチが入りました。

3時間切りを目標にしました。

ネットや本で情報を集めて本格的練習を始めました。

あれだけ嫌いだった長距離を自らの意思で毎日のように走るようになりました。

この頃から航空学生の悪夢を見なくなりました。

それから約3年がたち現在(2019年5月)に至りますが、まだ3時間を切れていません。

様々な壁が毎回現れて3時間切りの行く手を阻みます。

右脇腹痛、脚のつり、エネルギーや栄養問題、怪我など毎年毎回何かしらの試練が訪れます。

その試練を一つ一つ乗り越えてあと少しのところまできました。

2017年宮崎で行われた青島太平洋マラソンで3時間00分28秒でゴールしました。

1kmあたり約1秒です!

マラソンとは実に難しいものです( ^ω^ )

もう一つぼくにとって大きな出逢いがありました( ^ω^ )

2016年4月、熊本と大分で大きな地震がありました。

至る所で被害が出ました。

そんな中2017年2月、熊本城マラソンが開催されました。

高校を熊本で過ごしたぼくとしても、何か出来ることはないかと模索しました。

募金することは簡単ですが「自分にしか出来ない何か」を自分の人生を二回変えた「長距離」でしようと考えました。

それが「落武者」との出逢いでした。

↓落武者デビューの時の写真!

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モチーフはガレッジセールのゴリさんが昔のテレビ番組で行なっていた落武者です。

震災に遭われた方々から指を差され笑われたらそれで本望だと思いました。

落武者を見た人が苦しみや辛さや悲しみを一瞬でも忘れて笑ってもらえるならそんな贅沢な望みはありませんでした。

落武者スタイルで会場に着くとあまりの恥ずかしさにスタート近くの神社に隠れました(゚ω゚)

元々が極度の人見知りなんです(゚ω゚)

スタート前までは人混みに紛れて目立たないように走っていましたが、走ってるうちにテンションが上がってきたのでなるべく沿道から見える位置に移動しました。

すると落武者を見た人たちみんなが驚きと同時に指を差して笑っているではありませんか!

老若男女どんな人であろうとみんな笑っていました。

老人ホームの前を走ると入居者さんたちが応援していたのですが、その方々も手を叩いて笑っていました。

エイドのボランティアをしている高校生たちも驚きと同時に指をさして笑いながら盛大な声援をしてくれました。

オラオラ系のお兄ちゃんたちもぼくを指差して笑っていました。

家族で沿道に立っている人たちもぼくを見て子どもに「ほら!なんか白いのが来たよ!」とナマハゲが来たよ!くらいの勢いでぼくを指差して笑ってました。

こっちが応援するために落武者をしたにも関わらず、逆にとんでもない応援を頂き途中何度も感極まり涙を流しました。

走り終わってから本当にこの落武者をして良かったと思いました。

それからぼくは落武者でフルマラソンを走ることにしました。

それぞれの大会を盛り上げるという意味もありますが、始まりである九州地震で震災に遭われた方々への想いが何より強いです。

また、沿道で声援を送って頂いている方々と少しでもマラソン大会を楽しむ為という事もあります。

落武者を見た人たちがみんなハッピーになればそれで良いのではないでしょうか( ^ω^ )

この無償の気持ちから生まれた「落武者」が思いの外反響が高く、多くの方の目に焼き付いたようでした。

自分が想像している以上に「落武者」が知れ渡っていることに改めて驚きました。

それは日を追うごとに感じています。

整骨院の事も一応書きます。

このブログ自体整骨院の宣伝のために始めたとはいえ、ほとんど整骨院の宣伝らしき記事を書いていません。

理由は特にありません(゚ω゚)

いろんな患者さんのことを書けばもっと整骨院も繁盛する可能性はあると思いますが、書いてません。

たまに書くようにしましたが、それでも宣伝らしいことは書いていません。

なるべく書くようにします(゚ω゚)

それではぼくの手整骨院のことを書きます。

上記しましたが、ぼくは元々パイロットを目指していました。

しかし、すぐに自分で自分の夢を手放してしまい行き先を見失いました。

航空学生を辞めた当初は本当に思い悩み自殺まで考えました。

知らないマンションの非常階段から飛び降りようとしましたが、風が吹いて体がよろめいた瞬間に怖くなり思い留まることが出来ました。

どうすれば良いか自分でもわからない日々が続き、浪人生という形で日々過ごしました。

その時に勉強に没頭することで嫌な事も忘れられることに気付き、朝から晩までずっと勉強をしていました。

そこで勉強の方法を知ることが出来たことは今でも役に立っています。

何となく理学療法士になろうかなと思って受験を重ねましたが、どれも失敗してしまいました。

名古屋の専門学校を受験したら理学療法士は落ちたけど柔道整復師に転化合格したとの電話が来ました。

名古屋に親戚もいることだし、もう受験勉強をしたくないという想いもあり柔道整復師の学校に行くことにしました。

その後名古屋で一人暮らしが始まり、約4年間学校生活を送り、卒業後そのまま名古屋の接骨院(整骨院)で働きました。

学生の頃は海外へ一人旅をしたりネット中毒になり引きこもりの日々を過ごすなど、よくわからない学生生活でした(゚ω゚)

結婚し子どもが産まれ、鹿児島へ帰り開業することに決めました。

整骨院が鳴かず飛ばずの状況の中、股関節治療を専門とされてる先生と出逢い、股関節治療の勉強が始まりました。

直接ノウハウを教わるというより、その先生に自分の股関節をほぐして頂くことで何とか自分の技術として活用しようと盗みました。

股関節の勉強をしていて自分自身でも気付いたことがありました。

『そういえば、自分の右股関節も痛いけどこれって…。』

思い返すと中学生か高校生の頃から右の股関節に違和感のような痛みのようなものがずっとありました。

居酒屋などで座敷系のお店に行くと必ず右の股関節に痛みが出ていました。

その時は特段気にしていなかったのですが、その痛みは股関節周辺の筋肉が発してる痛みだということがわかりました。

それから自分の股関節を詳しく診てみると右の股関節が左より10mmほど短いことを知りました。

股関節治療の勉強をしている時にはマラソンの練習をしていました。

走ってる時や日常生活でも右股関節に手がいってる自分に改めて気付きました。

その事実に気付いてからというもの、自分の身体でひたすら実験を繰り返しております。

理論的に勉強をし自分の体で実験し結果を出し次なる課題を見つける、という試行錯誤の毎日です。

答えが見つかったと思ってもそれが答えじゃなかったりするし、勉強に終わりはないんだなと毎回思い知らされます。

2017年からトライアスロンを始めたことで新たな実験が出来るようになり、日々楽しく時には痛みを伴いますが、自分の体を使って実験を繰り返しております( ^ω^ )

何より、股関節痛で悩まれてる方にぼくがマラソンやトライアスロンをしている姿を見て頂くことで励みになればと思っています。

どのように自分の股関節痛と付き合い、いかにして股関節痛を出さないようにするかを考えております。

それが自分自身の為だけでなく、多くの股関節痛で悩まれてる方の治療に役立つと確信を持っております。

様々な勉強を繰り返しているうちに栄養にも目がいくようになりました。

栄養の世界も実に奥が深く遺伝子レベルでの健康を考えるようになりました。

「分子栄養学」との出逢いです。

分子栄養学を提唱された物理学者三石巌先生の本を読み漁り、あまりにも深い内容過ぎて最初は理解することが出来ませんでした。

それでも繰り返し読み続けているうちに何となく理解するようになり、その理解を自分の体で実証すべく人体実験が始まりました。

「健康は科学である」との言葉に感銘を受けつつ、常に科学的に健康を考えるようになりました。

タンパク質の重要性、ビタミンやミネラルの必要性を体感し、自分が得た知識・経験を患者さんにも伝えるようになりました。

治療、運動、栄養この三つの勉強をしてぼくには確信が生まれました。

『一つのことで解決出来ないことでも、三つを組み合わせると解決出来る可能性が非常に高くなる。』

ただ三つを単純に組み合わせるのではなく、それぞれを微妙な加減で組み合わせる必要があります。

その加減をぼくが判断することで患者さんの治療が非常に高まることがわかりました。

この考えはトライアスロンを始めたことで気付いたことです。

治療・運動・栄養のスキルに自信を持ってはいますが、最上級かというとそうではないと思います。

しかし、この三つを組み合わせたスキルは世界で勝負出来るのではないかと密かに思ってます。

好奇心が強く「思い立ったら即行動」が座右の銘と言っても過言ではないくらいフットワークが軽いです。

もちろん無闇矢鱈と動き回るわけではなく、自分の直感を信じて自分が「良い」と思ったら行動するようにしてます。

その一つの例としてこのブログを読んだインド人(日本語が話せたり書けるインド人です)から連絡があり、やり取りをしてるうちに会いたくなり、実際会いに行きました(2019年1月)。

今度はそのインド人が鹿児島に来ます(2019年7月)。

ぼくはただ会いに行っただけで、ぼくにコンタクトをしてくれたインドの友人がまず何より第一です。

それがなければぼくはインドに行くことも、インドのことを知ることもありませんでしたから。

彼に会いにインドへ行き、インドという国を見聞きし人生の糧になりました。

↓初めて彼に会った時の写真!

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またいつかインドには行きたいと思っています。

できれば毎年行きたいくらいですが、お金の問題があるのでもっと稼いだら行くようにします( ^ω^ )

自分の直感を信じる前段階として直感を鍛える必要がありますのでそこを怠らず常に様々なことにアンテナを張り巡らせております。

勉強を怠ることなく、常に前を向くことを意識して(たまには後ろ向きにもなりますけどね(゚ω゚))、自分自身の「生」をどのように真っ当するか、すべきなのか試行錯誤の毎日です。

自分自身を大事にせずして家族や他人を大事にすることは出来ないと思ってますので、まずは自分を目一杯愛してます。

次に妻と子どもたちを愛してます。

これからどのような人生を歩んでいくのか自分でもわかりませんが、皆さまの人生の寄り道にぼくが立っているくらいで良いので関われたら幸いです( ^ω^ )